千原

千原の歴史

兵庫県神崎郡市川町、​千原​(ちはら)。
茅の​原を​ひらいて​村に​なった、と​伝わる地。
市川の​西岸、​静かな​野の​つづき。​

茅の原、と伝わる名

千原と​いう​名は、​茅原​(ちはら)​——茅​(かや)の​生い​茂る​原——の​転訛と​いわれています。​たしかな​記録が​残っているわけでは​ありません。​それでも、​原を​ひらいて​田を​つくり、​村に​していった​人々の​姿を​思わせる​地名です。​古代の​神崎郡が​市川を​境に​東西へ​分かれた​とき、​この​あたりは​西側の​神西郡に​なりました。​

記録の少ない村

江戸時代の​千原村を​単独で​記した​帳面は、​手もとの​調べでは​まだ​見つかっていません。​まわりの​村々と​同じく​姫路藩領だった​とみられますが、​確かな​ことが​分かったら、​ここに​書き足します。​明治22年​(1889年)、​千原は​甘地ほか​6か村とともに​甘地村と​なり、​昭和30年​(1955年)の​合併で​市川町の​大字に​なりました。​

村の御堂——信光寺

村には​浄土真宗本願寺派の​信光寺が​あります。​播磨の​村々に​深く​根を​張った​真宗の、​村の​御堂です。​由緒の​くわしい​記録は​見つかっていませんが、​報恩講の​季節には、​この​御堂に​村の​灯がともってきたはずです。​

鉄を鍛つ手

市川町は、​国産ゴルフアイアン発祥の​地と​して​知られます。​その​伝統は​いまも​千原に​生きていて、​2004年に​ひらかれた​工房​「ゴルフテック叡智」が、​軟鉄を​鍛造して​アイアンを​一本ずつ仕上げています。​茅の​原の​村に、​鉄を​鍛つ音が​響く​——町の​物づくりの​現在形です。​

ほ場整備から、いま

昭和50年​(1975年)には​ほ場整備が​完成し、​千原の​田んぼは​いまの​形に​なりました。​国道ぞいには​日替わり定食の​食堂の​明かり。​派手な​ものは​ないけれど、​野の​つづきに​暮らしが​ちゃんと​ある​——千原は​そういう​村です。​